ブレーカー ブレイカー
いつだったかの夕方。
シャーリングで鉄板を切ろうとした時、モーターがうなった。
音から推測するに、三相の内、一相が来ていない感じ。
少し前にも同じことがあったが、モーター部の結線のやり直しで治ったはず。
この前と同じ症状。
モーター部の結線は先日直したままの姿。
それで残り、疑うとすれば、モーター内のトラブルか、直付しているブレーカーか。
何もないのにモーター内でトラブルは考えにくいので、まずはブレーカーを疑ってテスターで調べようとブレーカーのある所に近寄った。
その先には、電気設備を導入するのであればもっとそれらしいものでブレーカーは取付されていくであろうが、そこにあったのは、木の板にブレーカーが一つ留めてあるだけの物。
しかもその場所は鋼材が並べられて、明るい時でも影になりわかりにくい所。
何故この様な場所にブレーカーをつけたのか。
鋼材が並べられているラックはわずか450程の隙間しかなく、ブレーカーのon、offさえも手を伸ばしてやっと届く場所。
何故このような場所にブレーカーを、、、
テスターを持ち、やっとの思いでたどり着いた三相の検査。
その時にはすでに、何故このような場所にブレーカーがと言う疑問は解決していた。
操作しにくい場所にブレーカーを据えたのではなく、操作しにくくなるように鋼材のラックを作っただけのこと。
狭い工場で、自分がもしラックを作るのであればきっとここにするであろう。
それはさておき、テスターを手に、伸ばした先にあるブレーカーを見て思ったこと。
変っていない。
たまに昔の写真を見て発見する我が工場。
反対され、それでも畑があった場所に鉄工所をやると決めた親父が建てたばかりの工場の写真がある。
いや、工場の写真と言うよりは私の写真だ。
1歳位の私の写真と写っているのは姫路のおじちゃんと見慣れた赤いガス容器、アセチレンだ。
その間に正に今手を伸ばして電気有無を計りに行っているブレーカーが写っていた。
何度も見ている写真なので覚えていた。今ではあまり見かけないタイプのブレーカーなので当時から変ってないのですぐに分かった。
テスターを当ててみると、やはり一相の接点がおかしい事に気付き、たまたまあった同じ容量のブレーカーを取付て配線完了。
シャーリングもいつもの動きを取り戻した。
改めて外したブレーカーを見つめ、思ったこと。それは
まぎれもなくあの写真と同じブレーカー。
言えば親父と鉄工所を一緒にスタートしたブレーカーが、36年間壊れずに最後の最期まで役を果たしていたんだと。
自分の幼い時期の写真にメインではなく、たまたま写っていたブレーカーがその日を持って取り外されたのだ。
外したブレーカーを見つめ、なんとも言えない気持ちになった。
私が鉄工所をすると決めたずっとずっと前からこの工場で働いてたんだなと思うと目頭が熱くなり、思わず心の中で『ありがとうございました』と言えました。
その作業に気付いたのか、親父が言った。
『やっぱりブレーカーか?』
私『うん、これ工場を建てた時から交換したことある?』
と聞くと『いや、ないんちゃうか』と。
私『そうやんな、写真で見たのと同じだったからそうだと思った』
ブレーカーを親父に渡すとしんみりした感じで
『そうかー最初のままのブレーカーかー、もう古いわなー』
どこか寂しげにブレーカーを見つめながら振り返る背中が、色んな意味で誇らしく思えた。
同時になんだか寂しい気持ちになり、私はそのブレーカーを使えなくてもとりあえず置いときたいと思い、
先ほど振りかえってしゃがみこんだ親父に声をかけた。
『なぁ、そのブレーカー置いとけへん?』
と言った『とけへん?』辺りで聞こえたプラスチックが砕ける音
『バキバキ』
視線の先には壊れたブレーカーを大ハンマーで砕いている親父がいた。
『あ!』の声も出る間も無く、親父の手によってブレーカーは砕けていた。
そこで親父が一言。
『和真、こういうの分別したらええんやで〜お!!これは鉄やな〜』
と、おそらくスクラップの金額を意識した発言を受け、
一瞬悲しんだ私はなんだったんだ!?と思いつつも
思い出のブレーカーはブレイカーの親父によって壊されるのが本望かもと思った。
ブレーカーさん、今までお疲れ様でした。
そしてありがとうございました。
シャーリングで鉄板を切ろうとした時、モーターがうなった。
音から推測するに、三相の内、一相が来ていない感じ。
少し前にも同じことがあったが、モーター部の結線のやり直しで治ったはず。
この前と同じ症状。
モーター部の結線は先日直したままの姿。
それで残り、疑うとすれば、モーター内のトラブルか、直付しているブレーカーか。
何もないのにモーター内でトラブルは考えにくいので、まずはブレーカーを疑ってテスターで調べようとブレーカーのある所に近寄った。
その先には、電気設備を導入するのであればもっとそれらしいものでブレーカーは取付されていくであろうが、そこにあったのは、木の板にブレーカーが一つ留めてあるだけの物。
しかもその場所は鋼材が並べられて、明るい時でも影になりわかりにくい所。
何故この様な場所にブレーカーをつけたのか。
鋼材が並べられているラックはわずか450程の隙間しかなく、ブレーカーのon、offさえも手を伸ばしてやっと届く場所。
何故このような場所にブレーカーを、、、
テスターを持ち、やっとの思いでたどり着いた三相の検査。
その時にはすでに、何故このような場所にブレーカーがと言う疑問は解決していた。
操作しにくい場所にブレーカーを据えたのではなく、操作しにくくなるように鋼材のラックを作っただけのこと。
狭い工場で、自分がもしラックを作るのであればきっとここにするであろう。
それはさておき、テスターを手に、伸ばした先にあるブレーカーを見て思ったこと。
変っていない。
たまに昔の写真を見て発見する我が工場。
反対され、それでも畑があった場所に鉄工所をやると決めた親父が建てたばかりの工場の写真がある。
いや、工場の写真と言うよりは私の写真だ。
1歳位の私の写真と写っているのは姫路のおじちゃんと見慣れた赤いガス容器、アセチレンだ。
その間に正に今手を伸ばして電気有無を計りに行っているブレーカーが写っていた。
何度も見ている写真なので覚えていた。今ではあまり見かけないタイプのブレーカーなので当時から変ってないのですぐに分かった。
テスターを当ててみると、やはり一相の接点がおかしい事に気付き、たまたまあった同じ容量のブレーカーを取付て配線完了。
シャーリングもいつもの動きを取り戻した。
改めて外したブレーカーを見つめ、思ったこと。それは
まぎれもなくあの写真と同じブレーカー。
言えば親父と鉄工所を一緒にスタートしたブレーカーが、36年間壊れずに最後の最期まで役を果たしていたんだと。
自分の幼い時期の写真にメインではなく、たまたま写っていたブレーカーがその日を持って取り外されたのだ。
外したブレーカーを見つめ、なんとも言えない気持ちになった。
私が鉄工所をすると決めたずっとずっと前からこの工場で働いてたんだなと思うと目頭が熱くなり、思わず心の中で『ありがとうございました』と言えました。
その作業に気付いたのか、親父が言った。
『やっぱりブレーカーか?』
私『うん、これ工場を建てた時から交換したことある?』
と聞くと『いや、ないんちゃうか』と。
私『そうやんな、写真で見たのと同じだったからそうだと思った』
ブレーカーを親父に渡すとしんみりした感じで
『そうかー最初のままのブレーカーかー、もう古いわなー』
どこか寂しげにブレーカーを見つめながら振り返る背中が、色んな意味で誇らしく思えた。
同時になんだか寂しい気持ちになり、私はそのブレーカーを使えなくてもとりあえず置いときたいと思い、
先ほど振りかえってしゃがみこんだ親父に声をかけた。
『なぁ、そのブレーカー置いとけへん?』
と言った『とけへん?』辺りで聞こえたプラスチックが砕ける音
『バキバキ』
視線の先には壊れたブレーカーを大ハンマーで砕いている親父がいた。
『あ!』の声も出る間も無く、親父の手によってブレーカーは砕けていた。
そこで親父が一言。
『和真、こういうの分別したらええんやで〜お!!これは鉄やな〜』
と、おそらくスクラップの金額を意識した発言を受け、
一瞬悲しんだ私はなんだったんだ!?と思いつつも
思い出のブレーカーはブレイカーの親父によって壊されるのが本望かもと思った。
ブレーカーさん、今までお疲れ様でした。
そしてありがとうございました。
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